モヤモヤは弱さじゃない。まだ使っていない才能の入口である
「よくわからなかった」と言える読書。
『西洋の敗北』エマニュエル・トッド
面白かった!
考えさせられることも、たくさんありました。
宗教、家族構造、多様性、国際政治、アメリカの覇権、グローバルサウスなどなど。
まあ、正直に言えば、理解できたのは3割くらいです。
以前の僕なら、もう少しわかったふりをしたかもしれません。
難しい本を読んだなら、難しいことを理解している自分を見せなければならない──そんな気持ちが、どこかにあったと思います。
でも、
わからないものは、わかりません(笑)
僕は『読書の方法』で、
「本は、ひとつ受け取れたら、それで十分」
と言っています。
一冊から、たったひとつでも、何かを受け取れたなら、その読書には価値がある(何ひとつ受け取らなくてもいいんですが)。
今回、この本から強く受け取ったのは、
「自分が世界の主流だと思っている価値観は、本当に世界の主流なのだろうか」
という問いでした。
僕たちは、西洋の一員である日本に暮らし、日本語のニュースを見て、自分の好みに合わせて並べられたSNSを眺めています。
そこで繰り返し目にするものを、世界の常識だと思う。
ところが、それは世界の常識ではなく、西洋世界の中だけの常識かもしれない。
たとえば、ジェンダーへの理解は──
どうやら西洋の中だけの常識で、その他の世界では「あいつら頭、大丈夫か?」と思われているらしい。
これは、僕たちが進んでいて、他が遅れているのではなく(僕たちが進んでると思ってたな……)、そもそも価値観が違うということ。
けっこう、ショック。
自分たちが正しいと、まったく疑ってなかったな……
見たいものだけを見続けていると、自分の考えに都合の悪い現実が見えなくなる。
自分が見たいものを、アルゴリズムが上手に届けてくれているだけ。
「僕には、見えていない世界がたくさんある」
小さな自分を守る正解と、大きな自分をひらく問い。
「小さな自分」と「大きな自分」。
小さな自分とは、能力が低い自分という意味ではありません。過去の経験や、周囲の期待や、社会の価値観によって、
「自分はここまで」
と決めている自分。
一方、大きな自分とは、自分の才能や可能性を、フルで使っている自分。
ソース、ハイヤーセルフ、本来の自分。
呼び方は何でも構いません。
今の自分が知っている自分より、もっともっと広い自分です。
僕たちが理性で処理できる問題の多くは、すでに「小さな自分」の枠の中にあります。
こうすればいい。
こう考えるべき。
これは正しい。
これは間違っている。
答えが出るので、安心できます。
しかし、自分の可能性が広がるときは、たいてい最初にモヤモヤが起こります。
今までの自分の枠では、説明できないからです。
なぜか気になる。
なぜか腹が立つ。
なぜか怖い。
なぜか、その人を見ていると落ち着かない。
その反応を、すぐに正しい答えで消してしまうと、元の枠の中に戻ってしまいます。
安心はできる。
でも、大きな自分には出会えない。
だから、モヤモヤ大歓迎です。
整理しなくていい。
すぐに納得しなくていい。
感情を無理やりポジティブに変えなくてもいい。
「これは何なのだろう」
と、眺めてみる。
答えの出ないものを、答えが出ないまま持っておく力を、ネガティブ・ケイパビリティと呼びます。
すぐに白黒をつけず、曖昧さや不確実さの中にとどまる力。
僕たちが自分の人生を考えたり、自分らしさを思い出したりするとき、脳は、目の前の課題を処理しているときとは違う働き方をすると言われます。
ぼーっとしているとき。
散歩しているとき。
お風呂に入っているとき。
本を閉じたあと、何となく余韻に浸っているとき。
「自分は、本当はどう生きたいのだろう」
という問いは、処理速度を上げた先ではなく、余白の中から現れます。
AI時代に必要なのは、答えを早く手に入れる能力ではありません。
答えをあえて受け取らず、自分の中から何かが生まれてくるのを待つ能力かもしれません。
許せなくてもいい。でも、どんな気分で次へ行く?
過去の傷を思い出したとき、
「許しましょう」
と言われることがあります。
でも、無理に許さなくてもいいんです。
クソ上司は、クソ上司でいい。
ポンコツパートナーに腹が立つなら、腹が立っていい。
勉強しない子どもに困っているなら、困っていい。
嫌だったことを、嫌ではなかったことにする必要はありません。
一通り、文句を言ってもいい。
恨んでもいい。
「あんにゃろう」と言ってもいい。
ただ、そのあとに、ひとつだけ問いかけてみる。
この状況から次の状況へ向かうとき、僕たちはどんな気分で進みたいだろう。
状況がすぐに変わらないことはあります。
明日も、同じ上司がいるかもしれない。
パートナーの行動は、変わらないかもしれない。
子どもは相変わらず、勉強しないかもしれない。
では、
同じ場所から同じ目的地へ向かうとして、
ずっと文句を言いながら行きたいのか。
それとも、ご機嫌に行きたいのか。
どうせ同じ道を行くなら、僕はご機嫌で行きたい。
引き寄せの法則が、本当に宇宙の法則なのかは、正直どちらでもいい。
僕は、「信じている」のではなく、「採用している」のです。
引き寄せの法則的思考方法を採用すると──
いい気分でいられる時間が増える。
見える可能性が増える。
偶然とは思えない出会いも、実際に増えた気がする。
それで十分です。
もし明日、もっとご機嫌に生きられる考え方が見つかったら、僕は平気でそちらを採用するでしょう。
引き寄せなんてない、とか言い出しかねません(笑)
思想は、自分を縛るためのものではありません。
自分を自由にするために使うものです。
嫌いな人の中に、使っていない才能がある。
人の欠点は、自分の欠点を映している。
それも、ひとつの見方です。
でも、もっとご機嫌な解釈があります。
人の欠点は──
自分がまだ使っていない長所の裏返しです。
たとえば、自己主張の強い人を見て腹が立つ。
「あの人は、自分のことばかり考えている」
と思う。
もしかすると、自分の中には、
「もっと自分の望みを表現したい」
という才能が眠っているのかもしれません。
無責任に見える人に腹が立つ。
もしかすると自分には、
「もっと自由に動く力」
が封印されているのかもしれない。
目立ちたがりの人が嫌い。
もしかすると、自分の中にも、
「本当はもっと人前に出たい」
という願いがあるのかもしれません。
もちろん、すべてがそうだと決めつける必要はありません。
本当に距離を置いた方がいい人もいます。
安全のために、シャッターを下ろすことが必要な場合もある。
ただ、十分に距離を取ったあとで、
「あの人の、どこに、こんなに反応しているのだろう」
と少しだけ覗いてみる。
すると、嫌いな人が、自分の知らなかった自分へ向かう案内人になることがあります。
人生って、面白くできています。
避けたかった人の中に、自分の才能の鍵が隠れていることがある。
自分らしさを感じるのは、どんなときですか?
『書く鏡』ジャーナリングの問いは、
「あなたが自分らしさを実感するのは、どんなときですか?」
僕は、
ややこしいことを、わかりやすく説明できたとき。
自分の身体を思いどおりに動かせたとき。
知らない自分を発見したとき。
今日は、このあと、自宅で初めてのブックパーティーを開きます。
少人数で読まない読書会をして、それぞれの「小さな人生」から「大きな人生」へ向かう作戦会議をする。
この時間が、どのような時間になれば、僕にとって最高だろう。そこで何を受け取りたいだろう。
伸びしろしかない自分。
自分の知らなかった自分。
すぐに正解を出さなくてもいい。
モヤモヤしたままでもいい。
そのモヤモヤの向こう側に、まだ知らない大きな自分が待っているかもしれません。
今日という一日も、ご機嫌な世界線を選ぶ一日に。
いつも朝の時間を一緒につくってくださって、ありがとうございます。
また明日の朝活で、新しい問いとともに。
くっきー🍪
*記事内で紹介した本は、現在の僕の探求テーマとして掲載しています。アフィリエイトリンクを含む場合があります

