違う世界線は、本当に選べるのか?
引き寄せ朝活915回。
スタートは、最近読んで面白かった小説、
佐伯つばさ『ようこそ瑕疵ある世界へ』
心理学と怪異。
カウンセリングと不思議現象。
幻覚、認知症、妖怪、マンデラ効果、パラレルワールド。
「僕たちは、今見えている世界だけを生きているのだろうか?」
そんなことも考えさせられた一冊。
怪異とは、説明できない世界に名前をつけること。
この本が面白かったのは、不思議現象を心理学で解いていくところでした。
幽霊。
亡くなったはずの人が生きている。
夕焼けの世界から出られなくなる。
そういう怪異が、心理学によって読み解かれていく。
ここで思い出したのが、京極夏彦さんの〈百鬼夜行〉シリーズです。
あれも、妖怪に取り憑かれた現象を、最終的には「憑き物落とし」によって解いていく。
でも、心のことを学んでから読み返すと、あれはほとんどカウンセリングなんですよね。
「あなたには妖怪が憑いている」
そう信じている人に対して、
「もう落ちましたよ」
と世界の見え方を変える。
すると、その人の現実も変わっていく。
妖怪とは何か。
怪異とは何か。
それは、説明できない世界に、人間がつけた名前です。
僕たちは、説明できないものに耐えるのが苦手です。
理由がわからない。
原因がわからない。
なぜこんなことが起きたのかわからない。
その状態は、すごく不安です。
だから、
科学。
怪異。
妖怪。
奇跡。
呪い。
病気。
脳の錯覚。
いろんな名前をつける。
名前がつくと、少し安心する。
たとえ完全には説明できていなくても、「そういうもの」として扱えるようになる。
人間は、世界そのものを見ているというより、世界につけた名前を見ているのかもしれません。
マンデラ効果と、違う世界線の可能性。
マンデラ効果。
ネルソン・マンデラは獄中で亡くなったはずだ、という記憶を持つ人が世界中にいる(僕も!)
でも、実際の歴史では、大統領になり長く生きた。
ニュージーランドはオーストラリアの右上にあった気がする。
でも地図を見ると右下にある。
こういう「多くの人が共有している違う記憶」をマンデラ効果と呼びます。
僕はこれをただの記憶違いとして終わらせるより、
「もしかすると、違う世界線があるのかもしれない」
と遊んでみる方が好きです。
もちろん、科学的に証明できる話ではないので、僕が勝手に面白がっているだけです。
でも、この「あるかもしれない」という感覚は、人生にとって意外と大事だと思うのです。
なぜなら、
「この世界しかない」
と思った瞬間、人はかなり苦しくなるからです。
クソ上司がいる世界。
ポンコツパートナーにイライラする世界。
お金の不安がある世界。
自分は変われないと思っている世界。
その世界しかないと思えば、僕たちには出来ることがなくなる。
でも、
「別の世界線もあるかもしれない」
と思えた瞬間、僕たちには出来ることが何かあるかもしれない。
違う上司の世界。
違うパートナーシップの世界。
違うお金との関係の世界。
違う自分の世界。
あるかどうかはわからない。
でも、あることにしてみる。
それが、新しい世界への最初の一歩になります。
この世界は、すでに撮影済みの映画なのかもしれない。
この世界は、すでに撮影された映画のようなものなのではないか。
今、僕たちは映画の中にいる。
登場人物として、ストーリーの中を生きている。
でも、その映画はもう撮影済みだから、映画の中でどれだけ暴れても、脚本そのものは変えられない。
クソ上司に文句を言っても。
ポンコツパートナーに腹を立てても。
お金の不安に飲み込まれても。
その映画の中にいる限り、基本的には同じ脚本が続いていく。
では、どうするのか。
映画そのものを変える。
違うスクリーンに移動する。
違う世界線に意識を移す。
これが、引き寄せであり、タフティのトランサーフィンであり、ホ・オポノポノであり、僕が最近ずっと考えている「世界線を選ぶ」ということです。
意識は、体に完全に閉じ込められているのだろうか。
脳が先に判断し、意識はあとから「自分が決めた」と思っているだけです。
だとしたら、僕たちが「自分」だと思っているものは何なのか。
かなり怪しくなってきます。
でも、だからこそ面白い!
脳が勝手に選んだ人生をそのまま生きるのか。
それとも、意識を使って違う映画へ移動するのか。
この朝活でずっとやっているのは、その練習です。
引き寄せキッチンには、全部ある。
『新訳引き寄せの法則』では、この世界をキッチンにたとえていました。
この世界は、大きなキッチン。
そこには、あらゆる食材が豊富に揃っている。
誰かがラーメンの麺を取ったからといって、自分の分がなくなるわけではない。
必要なものは、ちゃんとある。
でも僕たちは、よくこうしてしまう。
「誰だよ、こんなところに肉置いたの」
「今ラーメン作りたいのに、ステーキ肉いらないんだけど」
「邪魔なんだけど」
本当は、ラーメンに必要な麺もスープも具材もあるのに、使わない食材に文句を言っている。
これ、人生でもやっていますよね。
欲しいものを見る代わりに、いらないものを見る。
望む世界を見る代わりに、望まない現実に文句を言う。
そして、そこに意識を注ぎ続ける。
引き寄せ的に言うなら──
問題は「何があるか」ではなく、「何を見ているか」です。
目の前のキッチンには、かなりいろいろ揃っている。
でも、使わない食材に怒っている間は、料理は始まらない。
人生を変えるとは、まず見る場所を変えることです。
苦しんでいる人を助けるには、自分が喜びの手本になる。
苦しんでいる人を助けたい時、どうすればいいのか。
僕たちはつい「かわいそう」「大変そう」「なんとかしてあげたい」と思ってしまう。
もちろん、その気持ちは優しさです。
でも、その人の不足や苦しみばかり見ていると、こちらの波動も苦しみに合ってしまう。
そして、相手の中にある不足をさらに強化してしまうかもしれない。
では、どうするのか。
その人が豊かで幸せでいる姿を思い描く。
その人の成功を期待する。
そのうえで、湧いてきた行動をする。
7月は『モモ』を読む。
7月は、ミヒャエル・エンデ『モモ』をみんなで読みます。
といっても、難しい感想発表はしません。
自分のペースで読む。
気になったところに線を引く。
いいなと思ったところに線を引く。
わからないところにも線を引く。
それを写真でシェアする。
他の人が線を引いた場所を見て、自分の本にも線を引いてみる。
それだけです。
でも、たぶんそれだけで十分です。
AI時代に、人間に残される思考は、速く答えを出すことではありません。
世界とは何か。
人間とは何か。
自分はどう生きたいのか。
そういう、めんどくさくて、すぐには役に立たない問いを持ち続けること。
それが、人文学的知性です。
『モモ』は、その入り口にとてもいい本です。
時間とは何か。
豊かさとは何か。
人間らしく生きるとは何か。
7月は、それをみんなでゆっくり眺めたい。
読書は、急がなくていい。
線を引くだけでも、世界は少し変わります。
また明日の朝、違う世界線で。
本を「使う」と、少しだけ違う世界の入口が開く。
言葉を変えると、見える現実が変わる。
問いを変えると、行動が変わる。
誰かの成功を期待すると、関係性が変わる。
そして、自分がご機嫌でいることは、世界に対してできる最初の贈り物です。
今日という一日も、ご機嫌な世界線を選ぶ一日に。
また明日の朝活で、新しい問いとともに。
くっきー🍪
*記事内で紹介した本は、現在の僕の探求テーマとして掲載しています。アフィリエイトリンクを含む場合があります。

